第203回 高校無償化からの朝鮮学校排除に抗議する文科省前金曜行動

2018年2月9日
第203回 高校無償化からの朝鮮学校排除に抗議する文科省前金曜行動
 

午後2時、明日の生ゴミ出しの用意をして、川崎市高津区にある障がい者グループホーム

「パステル11」の玄関を出る。

3階が精神障がい者と2階が知的障がい者の居住区となっているが、障害を区分けすること自体が

無理というもので、日々、何やかや問題が生じ天手古舞の内情である。

札幌市の生活保護者施設の火事で福祉政策が喧しく語られるが、経済最優先の福祉切り捨ての政策の中で、

グループホームのスタッフも集まらず、古希になろうというわたしが、川崎くんだりまで足を運ぶ。


 鷹ノ巣橋バス停から田園都市線溝の口駅までの東急バス経路には、阿佐ヶ谷朝鮮学校で

教務主任をされていたRさんが校長を務めている南武朝鮮初級学校があり、今日も、車窓からは、

幼稚部の子どもだろうか、校庭で楽しそうに凧揚げをしている姿が垣間見えた。

Hさんの全国行脚の際、Hさんから朝鮮行のお誘いを受け、期待で首がキリンのように長くなってしまった。

 

 溝の口から表参道まで急行に乗り、地下鉄銀座線で虎の門に行きつくまでに、

「みさと町立図書館分館(高森美由紀)」をなんとか読み切る。

本に挟まれている「この本は、まだ貸し出しを待っている方がいらっしゃいますので、

よみおわりましたらお早めにお返しください。あきる野図書館」という栞代わりの督促状に

せかされて一気に読んだ。

地方の図書館を舞台にしたこの物語で、図書館に勤める30代の女性の思い、悩みがテーマだが、

著者は、「昼、なに食いてがっきゃ?(食べたい)」とか、「お、なしたっ」とか、

「な(お前が)、け(食べろ)」などと、主人公の父親に、青森方言をあえて喋らせる。

そのこだわりから、郷土を深く愛する著者の気概が伝わってくる。


 文科省前は、空気の流れも穏やかで、風もなく、寒さを感じさせない。

これ幸いに、木々や植え込みに、「わたしのねがい 朝鮮学校生に笑顔を!」や

「教育無償化をいいながら学校差別はありですか?朝鮮学校への教育差別をわたしたち日本人の力で

すぐに解消しましょう!」などのプラカードを陳列する。

携帯スピーカーを木にかけ、「声よ集まれ歌となれ」を流していると、胸負んぶに乳母車を押した女性が

近寄ってきた。

乳母車から、おかっぱ頭の元気そうな女の子が降りる。

二歳くらいだろうか。だれ?なに?金曜行動関係者?女性は、スマホを突き出し、

「文科省って、ここですか」と聞く。

突き出されたスマホの画面に、見覚えのある名前が!Pマーク!「Pさんに誘われてきたんです。

金曜行動の方ですか」。

大阪からはるばる、ライオンキングを見に子どもと来たのだが、それなら、ぜひ金曜行動にと

誘われたのだという。

大阪で、毎週火曜行動をしている人で、「Kといいます」(写真6)と教えてくれた。

「ここって、トイレとか借りられます?」と聞かれて、「入ってエレベーターで3階です」と言うと、

「そこって、授乳できそうですか」と言われ、えっ、そういう発想では見ていなかったぞと慌てる。

タイミングよく、連絡会代表のHさん(写真7)が幟の立てて歩いてきた。事情を話すと、

さすが、文部省の主のようなHさんである。「ありますよ。一緒に行きましょう」と幟を立てかけ、

案内していってくれた。


地下鉄の出口から杖を突いたTギさん(写真8)がゆっくりゆっくり歩いてくるのが目に入る。

Tさんは、脳梗塞の後遺症で、未だに歩行も不十分、発声も元通りにはなっていないが、

4月からは、特別支援学校の教員として復帰するのだと力強く話してくれた。

この前、メッセージ性のある手作り風のビラ(写真9)をもらったので、「この漫画あなたが描いたの」と

聞くと、「まだ手が思うように動かなくて、絵の息子が毛が少ないよって言うから、3本増やしてやった」とおかしそうに言い、「ここに来ると若い人たちに元気がもらえるからすごいリハビリになるのよ」と

笑っていた。
教育学部の学生が集まり、ちょうど社会科見学で国会等を巡ってきた立川朝鮮学校の中学生たちも加わってにぎやかになってきた。東京オモニ会のKさん(写真5)などオモニたちが横断幕を掲げ、Pさん(写真10)が無償化連絡会の幟を高く掲げる。継続的に動画を発信してくれる姜義昭さん(写真11)が録画を開始する。
学生たちの発言が始まる。

「わたしは、幼稚園から大学まで朝鮮学校で学んできて、自分の国の言葉を知り、

話すことができるようになりました。

過去の歴史を学び、なぜここにいるのかを知りました。

自分が何者であるかを知りました。

なぜ異国である日本にいなければならないのかを知りました」。

女子学生は、自分が在日朝鮮人であり、それが、日本の植民地支配の結果であることを

ごく当たり前に知った。

母国語としての朝鮮語を話すことが当たり前のことであることを知った。

「母国が朝鮮であることを理由に学ぶ保障がされないならば、わたしが朝鮮人である事実を

認められないことです。わたしは、ここに存在してはいけない人間なのですか」。

朝鮮学校での学びを認められないことは、自分の存在そのものを否定するものだと彼女は言う。

だれが、この事態を引き起こしたのか。在日朝鮮人を作り出した責任において、この事態を

率先して解消せねばならない日本政府が、それに頬かむりするだけではなく、こともあろうに、

差別し、排除している。

 

「文科省のみなさん、通行中のみなさん、この事態をおかしいとは思いませんか」。

民主国家と言い、美しい国づくりという政権ビジョンの実像が、朝鮮学校の無償化からの

除外に現れている。
大阪から来た二児の母Kさんは、大阪での府知事の暴言を報告する。

「火曜行動で出会ったMさんに我が子の学習権について尋ねました。

ここで生まれてここで育てています。

在日朝鮮人ではありますが、この子に、学ぶ権利はないのでしょうかと。

松井さんは、即座にこう答えました。在日に学ぶ権利はない、と」。

なんという厚顔さと、Kさんは、叫ぶ。

人間の子として生まれた我が子を前にして、平然と学習権を否定する大阪府知事、

これが、アベ政権を裏から支える行政の長なのだ。

「溺れようとしている子が救いを求めたとき、お前は、どこの国の人間なのだと聞きよるんか。

飢えて死にそうな子どもを目の前に、お前は、どこの国の人間なのだと問うのですか」。

子どもの学習権は、世界共通の基本的人権なのだ。

大阪の勝利判決で支援者が沸く中、陣痛を起こして生まれた二人目の子を抱いて、

「お金が欲しくて言ってるんちゃうねん。同じ人間として認めろって言ってんねん。わたしは、朝鮮学校の授業料がどんなに高くても、借金をしてでも、この子を朝鮮学校に通わせますね」。

ごく当たり前のことが実現されない文科省前で、人としての尊厳を守り切ると宣言する。

若いお母さんの大阪弁に、参加者の意気がますます盛り上がる。
「みさと町立図書館分館」に登場する著者の愛した青森の年寄りたちの言葉に対するこだわりに、

戦前の国民学校で行われていた「方言札」制度を思い出した。フランスで発明されたこの国民統合政策は、

戦前の日本に持ち込まれ、特に、朝廷に対する不服従を貫いてきた東北や沖縄の学校でしつこく続けられた。イギリスが英語とキリスト教の普及を通じて世界を植民地化したように、支配者は、常に、

人民を意のままに繰るアイテムとして、宗教と言語を強制する。

朝鮮半島に踏み込んで植民地化を進めた日本帝国主義の創氏改名や国民学校における日本語強要、

ご真影や日の丸強制による天皇教による洗脳は、絵にかいたような植民地政策だった。

「国語常用」を強要するために、朝鮮総督府によって講じられた「罰札」、「国語常用家庭」の門札、

「国語常用章」(バッジ)などの褒賞や懲 罰の目印となる賞罰表象を用いた「国語常用」運動が

それである。

日本の植民地言語政策が朝鮮民衆の民族性と人間性を踏みにじっていった。

敗戦後の沖縄処分は、戦後においてさえ、沖縄においては、「方言札」制度が機能していたことに

象徴される。

沖縄は、未だに、日本とアメリカの二つの帝国主義の支配する植民地である。

言葉の問題を考える時、有力な家臣たちの反対を押し切って、民族のアイデンティティを表現する

ハングルをつくった朝鮮王朝第4の王世宗(セジョン)の卓越した思想に学ぶところが多い。
集会後、阿佐ヶ谷の友だちのところに泊まって帰るというKさんに、「大阪弁は気持ちがよく表れていいですね」と言うと、「自分の気持ちを表現するには、やっぱり育ったところの言葉じゃなくちゃあかんねん」ときっぱりとした言葉が返ってきた。

そうなのだ、怒りも喜びも、本当の思いは、自分の言葉で語らなければ伝えられない。

 

(facebook  Bさんの記事より)

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