2018年2月23日
第205回 高校無償化からの朝鮮学校排除に抗議する文科省前金曜行動
誠に準備が悪く、途中でコンビニによって飴を買っていたら、虎の門到着が3時半を越えてしまった。
赤いジャンバー姿のCさんがすでに来ていて、通りがかりの人に声をかけ、ビラを配っている。
慌てて携帯スピーカーを出し、「声よ集まれ」を再生し、車道側に植えられているアベリアの枝にかける。
Cさんに、「トイレに行ってくるね」と声をかけ、我が家のように出入りしている文科省3階の
トイレに行って戻ってくると、玄関の前に、チマ友の会の哲人Mさんが、「高校無償化適用!」の
ミニ横断幕を掲げて立っていた。
「お久しぶりです。この度、父が老人ホームに入りまして、ご無沙汰していましたが、
何とかここへ来ることができました」というMさんの顔には、思いなし、疲労の色がにじんでいる。
こんなことを言っては語弊があるかもしれないが、介護の毎日が、やさしいツワモノに
無理を強いてきていたのだろうと推察する。
見覚えのある顔の増えた大学生に、慌てて適当にあつらえた飴を配る。
女子学生が、「金のミルクがいい」「純露(じゅんつゆ)をください」などと受け取ってくれる。
「甘いものは苦手で、それに、虫歯にもなるので」と手を返す男子学生がいる。
反応は様々で、なるほど、そういうこともさもありなんと反省しつつ、では、次は何をと少し思案する。
大学生に続いて高校生が続々現れる。
今日は、東京朝鮮中高級学校の高校生全員の結集だった。
玄関前に並びきれない生徒たちが二手に分かれ、中学と高校3年生のオモニたち、
そして、連帯する人たちが、それを囲む。
教育学部の3年生が参加者に向かってマイクを持ち、檄を飛ばす。
耳を澄まして聞きながら、朝鮮語を理解できないわたしは、活舌よく、キレのいい声で
彼女が伝えんとするところが全く分からず、何とも歯がゆい。
「ぼくたちは、1週間後の3月2日に卒業式を迎えます。毎週、わたしたちは、ここに立って、
一人の人間として、朝鮮学校が理不尽に差別されていることに抗議して声をあげているのです」。
卒業を控えた高校3年生男子が、文科省の建物が象徴する日本社会に向かって声をあげる。
「規定の対象に外れているとか、そういうことではなく、あなた方文科省の方々は、
わたしたち朝鮮学校だけが支給の対象から外されていることをおかしいと思わないのですか。
そう思わないのなら、平等とは、いったい何なのでしょうか。この国では、差別はなくならないのでしょうか」。
不平等や差別ということは、立ち止まって聞き、受け留め、自分の目を見開いて考えてみれば、
そんなに難しいものではない。誰にもその理不尽さが共有できるほど明快なことなのだ。
「ぼくたちは、ただ安心して、生まれ育ったこの国で勉学に励みたいだけなのです。
何の心配もなく、学校に通いたいだけなのです」という学生の語る思いを理解し、
それが実現できていない現状を知りさえすれば、そのおかしさが分かる。
「日本に住む外国人は、日本人にならなければ、学ぶ権利を与えてもらえないのですか。
自分の国の歴史や文化を学ぶことは、朝鮮人の子どもにだけ許されないことなのでしょうか。
これ以上、ぼくらの声を聞き流さないでください。これ以上、見て見ぬふりをしないでください。これ以上、ぼくらの学ぶ権利を奪わないでください」。
「僕は、東京朝鮮中高級学校に通う高校1年生です。いつもなら、グランドに出てボールをけっている時間にここに立っています。なぜ、金曜日の午後4時からここで叫んでいると思いますか。それは、あなたたちが、ぼくたちの学ぶ権利を奪っているからです」と1年生が怒りの声をあげる。
「こんな無用な裁判のために、学生の本分を犠牲にしている非日常を日常にしてしまっているのは、
いったい誰なのか、あなた方は、よくわかっていると思います。
文科省が本来の任務である子どもたちのためのまっとうな施策を行えば、わたしたちの日常が
本来のものになるのです」。
差別され、権利を奪われている高校1年の女子学生に理を説かれなければならない日本の現状を、
愛国者を自認する政策担当者たちはどう考えるのか。
9.13不当判決を糾弾するオモニの声を背に、気になっていたMさんの話を聞く。
お連れ合いのご両親の介護で、多方面にわたる活動もままならなかった。
「母の方も認知が入っているんだけど、ヘルパーが来たり、デイサービスに行ったりして
何とかやってるんだけどね、父の方が」。
90を越えて、少しずつ行動面での問題が出てきたのだと言う。
チマチョゴリ友の会では、キムチ頒布会、ハングル講座、在日一世と家族の肖像写真展、
朝鮮文化とふれあう集い&フリーマーケットなどを精力的に取り組み、府中緊急派遣村では、
「府中みんなの村」という生活困難者への生活相談・労働相談・居場所づくりに奔走する。
かってからの労働組合活動も手を抜けない。
その彼が、誰にも巡ってくる親の介護問題を負いながら、活動を続けてきたのだ。
わたしなどのぼんくらには、想像を絶する状況だったに違いない。
「例の教育関係なんかで商売盛んなNという会社があるでしょう。
『 学習から就業まで』をコンセプトに、医療・介護・保育分野の資格、就業、
スキルアップなんかまで手広くやっているとこですが。
そこの有料老人ホームに空きができて、そこに入ってもらうことになったんです。
まあ、本当は、父も、自分が作った家ですから、よくはわからなくて、そこを離れたくは
ないでしょうが、背に腹は代えられず、かわいそうですよ」。
「無償化は、自分にとって、ゆるがせにできない活動ですから、本当に早く復帰したかったのですが。
そんなわけで、ようやく来られて」。
お父さんの状況が改善されれば、いつでも家に戻ってもらえるように、月ごとの入居更新なのだ
と聞いて、新知識に感心しながら、とりあえず、Mさんと再会を喜び合う。
5時を迎え、リーダーの閉会宣言を聞いて、荷物をまとめ、駅へ急ぐ。
FacebookでPさんが紹介していた国分寺で催される講演会に7時までに行くのだが、
その途中で阿佐ヶ谷朝鮮学校に寄って、わたしのことを取り上げてくれた雑誌
「朝鮮学校のある風景」を持てるだけ持って行かなければならない。
Cさんが、ご自分の国分寺カフェスローで主催した夜スク⭐︎プレ・イベント「今こそ、哲学を!」は、
参加者23名という盛況ぶりで、今後の企画が目白押しだ。
若い女性が大半で、このテーマで?というわたしの「はてな」はともかく、
カフェスローという店のデゾンデートルを裏切らない取り組みを応援したい。
(すみません、Cさん。もっと書きたいのですが、テーマが分散するので、今回はここまでで。
みなさん、是非、詳しくをネットなどで検索のこと)
「うちの息子が今度、朝高に入るんです。また、文科省前でお会いしましょう」という
Cさんの声に送られて家路につく。
しなくてもいい金曜行動は、まだまだ続く。
しかし、そのお陰で、得難い友が増え、不明を補う見識を高め、人に対する信頼を深めているわたしもいる。微妙!
(facebook Bさんの記事より)
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