第210回 高校無償化からの朝鮮学校排除に抗議する文科省前金曜行動

2018年3月30日
第210回 高校無償化からの朝鮮学校排除に抗議する文科省前金曜行動
白菜をざく切りにし、ワカメの乱切りと一緒に中鍋に入れ、

水を八分目注いでIHテーブルにかける

貝柱スープの素とブイヨン2個を入れ、スイッチを押す。

昼を告げる時報が鳴り、台所の本棚に置かれたラジオで、中朝首脳会談の様子と

世界から取り残されてあわてふためく安倍政権の右往左往をNHK野村正育アナウンサーが告げている。

政府は、「北朝鮮側から対話を求めてきたことは、日米韓3カ国が緊密に協力して国際社会と連携し、

北朝鮮に圧力をかけてきた成果だ(菅官房長官)」と日本が主導してきた圧力、制裁の

効果であることを繰り返し強調しているが、この流れが、韓国大統領戦に勝利した民衆の戦いの

結果であることは明白だ。

今まで政権維持のために敵視政策を取り続け、「対話のための対話は認めない」として

「対話」を拒否していた同じ口から、「対話」という言葉が吐かれることを、

国民はどう感じるのだろうか。
冷凍庫から出して水道水で解凍した牡蠣を入れ、ブレンド塩胡椒を振りかける。

ワカメも牡蠣も、つい先日、南三陸町の牡蠣漁師千葉正海さんが送ってきてくれた。

初めてMさん宅にお邪魔したとき、お連れ合いのKさんが出してくれた白菜と鱈のスープが

あまりにも美味しかったので、様々バージョンを考えて試している。

Mさん家族の育てた産地直送の新鮮な牡蠣とワカメには、海の愛がたっぷり蓄積されているから、

難しいレシピはいらない。
安倍政権の混迷ぶりを伝えた野村アナウンサーが、強制不妊手術問題のニュースを告げている。

1948年から96年まで半世紀近く続いた旧優生保護法下で、不妊手術を強制された

宮城県の60代女性が、個人の尊厳や自己決定権を保障する憲法に違反するとして、

国に1100万円の支払いを求める訴訟を仙台地裁に起こした。

同法に基づいて強制手術を受けた人は全国に1万6475人いるが、国家賠償請求訴訟は初めて。

女性側は、被害者救済に必要な立法措置を怠った国の責任について追及する。

福生図書館で見つけた「麦ばあの島(ハンセン病人権マンガ)全4巻」が重なる。

隔離された島内にある療養所では、結婚した男性は、「筋切り」と言われる断種手術を

義務付けられていた。
和恵さん直伝のスープに、スタンディング仲間のKちゃんお手製の五目おこわ、

近所のFさんが昨日摘んできてくれたばかりの芹をお浸しにしておかか醤油をかける。

やさしい、ヘルシー、おいしい、三拍子そろったご馳走をゆっくりいただき、いざ出陣である。

暖かくなって少し薄着ができるようになった。震災以来のユニホーム、背中に大きく

南三陸」と印字されたウインドベレーカーを羽織り、プラカードの入った書類ケースを下げて家を出る。

文科省前のソメイヨシノは、葉の緑が目立ち始めた。すでに満開を過ぎた花が時折吹き抜ける風に流れる。

銀座線の階段の方から「Bさ~ん」という声がして、我が文科省前のマドンナSさんが歩いてくる。

脳梗塞の後遺症が残り、まだ少し不自由な足で、ゆっくりゆっくり歩いてくる。

死刑囚だったお父さんの濡れ衣を晴らす再審裁判のために4月に渡韓する話を聞いていると、

マスクをした若い女性が近づいてきた。

「留学同で、今度からこちらの担当になりました」と言われて名刺を渡すと、

「前にもいただきました」と言われるのだが、前にあったような気もするが、

あまりにも多くの友だちができて、記憶がはっきりしない。
子どもたちが完全に春休みに入り、今日は、正真正銘の「勝手に金曜行動」だ。

その状況を踏まえて、留学同(在日本朝鮮留学生同盟)が応援に来たのだという。

「今日は、学生が来ないので少人数です。鳴り物を用意してきてください」というSさんからの

メールがあり、日本人の年寄りばかりだろうと予想していたので、若い人たちが来てくれて活気が出る。
マイクが届き、4時になって、ワイシャツの若者が元気よく話し始める。

「わたしは、在日朝鮮人です。朝鮮人だから、朝鮮の文化や歴史、言葉を学ぶために朝鮮学校に行きます。

当たり前のことですよね。あなた方日本人も、日本語や日本の歴史、文化を学ぶために

日本の大学校に行くでしょう。同じことです。そのどこがいけないのですか。

それなのに、しかし、決定的に違うことがあります。根本的な問題です」。

それは、在日朝鮮人という身の置き所に悩まされる存在が、日本帝国主義の植民理政策によって

歴史的に生み出されたという点にある。

その歴史的経過を踏まえるならば、侵略戦争を反省する日本国は、自らの責任を自覚し、

進んで当事者の望む教育を提供しなければならない立場にいる。

「にもかかわらず、日本国政府は、そのことに消極的なばかりか、あえて排除し、あまつさえ、

さまざまな通達など出して、自治体の補助金まで止めようと圧力をかけています。

あなた方は、自国の行った戦争行為を全く反省していないんじゃないですか」。

どなたかの投稿に、「子どもたちの発言がだんだん過激になってきたね」という言葉があった。

むかし、「ラジカル」という言葉が、「過激」とすり替えられて揶揄された時代があった。

たしかに、「ラジカル」を辞書で引けば、「過激、極端、急進的」などと説明されている。

しかし、学生たちは、ラテン語の語源「木の根」に由来する「根源的、本質的」なものを求めることを自分たちの戦う姿勢を象徴させていたのである。

根源的、本質的に物事を追求することは、未来を拓こうとする若者の本能ともいえる。

それが「過激」に映ることがあるとすれば、それは、大人たちの衰えの現れでだろう。

「過激」と映った学生たちの発言の変容を、連絡会代表のHさんは、

「戦いは、人を高めるね。目的は無償化実現だけど、ここでは、戦いを通して、目を開き、

自分を鍛え、社会の主体になる過程が再生産されているんじゃないかな」と言う。

学生たちは、日本政府の理不尽を問いながら、同時に、その反芻の中で自らを問い、検討し、

確かな自分を作っている。それが、「過激」とも見える発言の変容なのだろう。
とはいえ、「過激」を若者たちの特権と譲るわけにはいかない。

経済学者で一橋大学名誉教授のTさんがマイクを持つ。

Tさんは、無償化裁判の大黒柱の一人だが、「80になるわたしだが、優秀な役人である

あなた方に、官僚の矜持を取り戻していただくために、あえて苦言を呈します」お前置きし、

高校無償化という望ましい制度を新しい差別に貶めてしまった政府文科省の罪を説く。

日本政府は、在日朝鮮人の言葉を奪ったことに対し、「原状回復」として民族教育を

保障しなければならない。

地方自治体は、朝鮮学校の教育のもつ公益性に着目して補助を行っているのに、

それを阻害するような通達を出して圧力をかけるのは言語道断だ。

外国人学校における教育は「普通教育」として認知が進んでいるにもかかわらず、

朝鮮学校だけを差別的に除外していることは、日本の教育を司る官僚として、あまりにも

不見識ではないか。

日本は国際人権諸条約を批准しており、「すべての者」の「教育への権利」を

保障しなければならない、それを無視して、未だに居直っている政府文科省を支えていることは

恥ずかしいことだと認識してほしい。建物の中で日々苦闘する人たちを信頼するからこそ訴えるTさんの言葉が耳に浸みる。その一言一言を咀嚼し、整理し、脳裏に納める。
  毅然とした人々の発言を耳にしながら、歩いてくる人たちに呼び掛ける。

「高校無償化の制度から、朝鮮学校だけが除外されていることをご存知ですか。ぜひお読みください」と

自作のビラを差し出す。

ビラを渡し、読んでもらうことがわたしの課題である。

歩いてくる人は、誠に様々で、それを観察するのが楽しい。

たいていの人は、話に気づき、プラカードや横断幕に目を向けながらも、自らの目的意識の元に

足早に通りすぎる。

よく見かける人もいるが、何の訴えをしているのだろうという素振りでゆっくり通る人もいる。

しかし、「無償化除外」の事実は、きちんと伝わっているのだろうか。

なじみの人は、よくも悪しくも何をしているかはわかるが、そうでない人は、もしかしたら、

金輪際ここには通らないかもしれない。そういう人にこそ、とにかく、「無償化除外」の事実だけでも知ってもらいたいと思う。

その人の歩調に合わせてバックしながら、目を見ながらにこやかに話しかける。

一緒に歩きながら、「高校無償化の制度から、朝鮮学校だけが除外されていることをご存知ですか。

ぜひお読みください」と、全部を伝える。そうすると、期待以上によく受け取ってくれるのだ。
  Oさんのオモニとしての訴えがあり、最後、Sさんの力強いシュプレヒコールが叫ばれる。

文科省前は日が陰り、「汐風を食べてみませんか」のロゴの入ったウインドブレーカーでは寒くなった。
 Hさんなど、池袋で6時半から行われる留学同主催の集会に参加人たちと別れ、

青梅市友田町天王山の住人は、新橋駅に向かう。

 

(facebook  Bさんの記事より)

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